医療法人社団養高会(高野病院)
一般病院・精神科病院
福島県双葉郡広野町大字下北迫字東町214番地

医療法人社団養高会が福島県双葉郡広野町で経営する高野病院は、2011年の東日本大震災による福島第一原発の事故後も、双葉郡の8町村で唯一診療を続けた医療機関として知られています。
今回は、原発事故の避難指示区域から程近い中での医療スタッフ探しや、その後に続いたコロナ禍でも苦難が絶えなかった高野病院を2023年に引き継いだ小澤典行理事長にインタビューしました。
医師としての歩みや病院経営の道を志したきっかけ、地域医療への思いなどを伺いました。
1989年に富山医科薬科大学(現:富山大学)を卒業後、東京女子医科大学の心臓血圧研究所循環器内科に入局し、心臓カテーテル治療と肥大型心筋症の遺伝子解析研究に携わりました。
11年間の勤務を経て退局した後は、民間病院で心臓カテーテル治療教育を手がけ、その後15年間は病院再建の支援を専門に行いました。
この間、いくつかの赤字病院を黒字化したのですが、地方には後継者のいない医療機関が多いことを知り、地域医療の問題への関心が強くなりました。
高野病院を知ったのは、福島第一原発の事故後も原発30㎞圏内で唯一、患者を受け入れ、高野己保(みお)前理事長やスタッフが孤軍奮闘しながら地域医療の拠点としての役割を担った経緯をつづった書籍を読んだのがきっかけです。
そのときから「すごい病院だ」と思っていましたが、2023年8月、高野前理事長から「病院を承継してほしい」との話があり、3カ月後の11月に第三者承継を完了しました。
震災から10年以上経った中でも地域の復興はなかなか進まず、病院経営は苦しい状態でした。
しかし、高野病院は地域住民にとって「なくてはならない病院」です。
高野前理事長の熱い思いに感銘を受け、「地域医療を守る」という思いを実践する良い機会だと考えました。
私は臨床が大好きでした。
しかしあるとき、「自分の好きなことばかりしていないで、病院経営にも貢献しなければならない」という、ある理事長の言葉を契機に、病院長に就任することとなりました。
実際にやってみると、病院経営が安定していなければ、適切な医療を提供できないことに気がつきました。
病院長として経営の舵取り役を務めることが向いていたのか、幸いにも大きな病院の立て直しに成功しました。
全国各地の5病院の黒字化を成功させた経験もあります。
そして、一病院の再建にとどまらず、日本の医療をどのように守っていくか、もう一段上から考えるようになりました。
地域医療を守ることは、その地域の医療機関を絶やさないことに他なりません。
個々の医療機関は経営が難しいけれど、協力すれば継続が可能です。
そのような考えから、M&Aによる支援という方法にたどり着き、実践しているところです。
地域で慣れ親しんできた病院やクリニック名には、安心と信頼が凝縮しています。
歴史的な価値のある看板を変えること自体にメリットはありません。
だから、高野前理事長や地域の患者様たちの思いを継続して地域医療を担っていくという覚悟のもと、病院名は変えませんでした。
M&Aによる経営統合で財務面の安定化を図ることも大切ですが、個々の医療機関が赤字にならないことが最も重要です。
地域医療を守る理念にも資金は必要です。
最低でも、赤字にならないような努力が必要となります。
高野病院は療養病棟と認知症治療病棟で構成されていますから、満床にしても利益は限られています。
そのような状況を解決するためには新しい事業を立ち上げなければならず、救急対応の再開に加え、訪問診療、訪問リハビリテーションなどを始めました。
人口が少ない地域なので都会の医療機関ほどの収益はないものの、一定の効果は出ていると思います。
M&Aは買収・乗っ取りなど、悪いイメージもつきまとう言葉です。
確かに、現実にはそのような法人も存在します。
しかし我々は、明確な理念に向かってM&Aを行っています。
M&A後もスタッフは全員以前と同じ条件で継続雇用していますし、経営方針についても、スタッフと話し合ったうえで検討するようにしています。
大切なのは、経営者が変わることに不安を覚えるスタッフに対し、安心感を与えることです。
そのために、数回にわたって説明会を開き、私たちの思いを伝えました。
これにより、M&A後に離職したスタッフはほとんどいませんでした。
スタッフ一人ひとりがグループの理念を理解し、自分たちの仕事に誇りを持ってもらうように心掛けています。
高野前理事長はスタッフや地域の人から絶大な信頼を得て、慕われていました。
私も初めてお会いしたときから彼女のファンになりました。
東日本大震災以来、想像を絶する苦難を乗り越えてきたにもかかわらず、常に笑顔で物腰の柔らかな話し方をされる方で、そのたたずまいには真のリーダーの貫禄が感じられ、「この人から多くのことを学びたい、一緒に仕事をしたい」という思いが心の底から湧いてきました。
高野前理事長には、新旧のリーダーという考え方ではなく、理念を共にするパートナーとして病院に残っていただけるようお願いしました。
そのため、スタッフも安心して勤務を継続でき、私自身も共に働いた期間はとても楽しく過ごさせていただきました。
1年後、残念ながら高野前理事長は退職されましたが、現在も交流があり、さまざまなアドバイスをいただいています。
ご息女が医師になり、病院を継げる時期になったら、経営を任せることが私の夢です。
まずは、東日本大震災以降、ほぼ止まったままの復興を広野町や双葉郡と協力して推進することが重要です。
広野町は人口5000人と少ないままで、駅前の商店はほぼ閉まっています。
これは、病院経営の範疇ではありませんが、今後、行政としっかりと話し合いながら、高野病院としてできることに協力していきます。
また、近隣の町村も同様の状態で、閉院の危機に面している医療機関があります。
復興においても医療福祉の充実は不可欠なため、2025年1月からは診療の応援も実施しつつ、地域医療を守っています。
情熱の源泉など思い当たることはないのですが、誰かが地域医療を守らなければ、日本の医療は崩壊してしまうという危機感でしょうか。
リーダーは理念に向かう旗振り役を務めるだけです。
その道を歩きながら障害を乗り越えていく組織のメンバーこそ、本当に苦労しているのだと思います。
私の信条は「生かされている」、つまり、周りの方々に支えられて生きていることを自覚し、常に感謝の心を忘れないことです。
私自身も、多くの方々に支えられて生きてきました。
自分にできる恩返しは、今の仕事をできるところまで成し遂げることだと考えています。
地方の方々は、純粋で優しいという印象があります。
特に、東北は情に厚い方が多く、東日本大震災で苦労したからこそ、患者様やスタッフに対する心配りや言葉遣いも一段と優しくなっている印象です。
震災以降、この地域の医療体制は未だ充足されておらず、住民の皆様がいつでも満足のいく医療を受けられる状況ではありません。
そのため、高野病院が守り続けた地域医療を維持し、さらにサービスの質向上と規模を発展させることが、我々の使命と痛感しています。
このような環境で一緒に地域医療に取り組みませんか?
一医療従事者ではなく、日本の医療の救世主として、一緒に楽しく働きましょう。
2025年12月3日 公開
医療法人社団養高会が運営する高野病院は、福島第一原子力発電所からほど近い福島県双葉郡広野町…