京西テクノス株式会社
計測器/医療機器/通信機器/電子機器 設計・製造・修理・校正・ネットワーク設計・ 構築・運用管理・システム運用管理
東京都多摩市愛宕4-25-2
京西テクノスは、東京都多摩市に本社を構えるメーカー保証の切れた計測器や電子機器、通信機器などの修理や製造を手掛ける企業です。
この記事では、京西テクノスの会社概要や事業内容だけでなく、臼井社長に直接お伺いした創業時のエピソードなど、普段聞けない裏話も紹介します。
京西テクノスのことをご存知の方はもちろん、知らなかった方もぜひ最後までご覧ください。
まずは京西テクノスの会社概要をおまとめし、京西テクノスがどのような会社なのかご紹介します。
京西テクノスは「トータルマルチベンダーサービス」「顧客ダイレクトサービス」「自社プロダクトの創出」の3つをビジョンに掲げ、トラブルの受付から解決までをワンストップで提供しています。
機器の修理やメンテナンスを行う会社は多く存在しますが、国内外のメーカーの製品をワンストップで対応するのは京西テクノスだけの魅力です。
また、京西テクノスではメーカー保証の切れた製品のリペアにも対応しており、これまでの修理実績は累計25,000台以上を誇ります。
「トータルマルチベンダーサービス」という言葉は臼井社長が創った言葉とのことで、言葉の持つ意味や詳細について、臼井社長に直接インタビューしましたので、後ほど紹介します。
今までの内容から京西テクノスのことが少し理解できたのではないでしょうか。その上で、さらに聞きたいことや知りたいことが出てきた方もいるはず。早速、臼井氏のことなどインタビューを通して深掘りしていきましょう。
臼井社長:
当社は、昭和21年に横河電機に技術者として勤務していた祖父が東京の西に位置する八王子で創業しました。
東京の西に位置する多摩の地は、元来、通信・計測産業が盛んで、今日でも電子機器メーカーの集積地として知られています。
創業当初、祖父は横河電機から仕事を貰うのではなく、他社から受注しようと考えましたが、当時は戦後の混乱期でなかなか仕事を受注することができず、創業早々に苦境に立たされました。
しかしながら、祖父は偶然、新聞広告で「日本電気 協力工場求む」の記事を発見しました。
祖父はそのまま記事を握り締め、日本電気の本社に駆けつけました。
既にそこには同様の企業が数百社集まっていました。
ふるいにかけるため、日本電気から製品製作の課題が与えられました。
他社は日本電気に指定された通りに忠実に製品を作りましたが、祖父は技術者として図面の不備を指摘し改良提案を行いました。
祖父はメーカーに言われた通りに動くだけでなく、独自の技術を有し、時には物申す存在、対等な関係でなければならないという信念をもっていました。
この改善姿勢が認められ、日本電気から業務を獲得するに至りました。
この日本電気での成功をもとに、古巣の横河電機をはじめ各社との取引を拡大し、会社の礎を築きました。
臼井社長:
「トータルマルチベンダーサービス」は私が創った造語で、トラブルの受付からシューティングまでのトータルサービスと、どこのメーカーの製品でもワンストップでサービスを行うマルチベンダーサービスを組み合わせたものです。
具体的には以下の4つを組み合わせています。
①24時間/365日対応のテクニカルサポートセンターでのコール受付
②全国最寄りの拠点からエンジニアが現地に駆け付けトラブル事象の解消/復旧を行うオンサイトフィールドサービス
③現地で交換した製品、部品を解析/修理
④サービスに必要なパーツ/代替え機のハンドリング
前述の①~④の何れかの業務を受託し、実績を上げ、委託者の信頼を得ることができれば、自ずとサービス全般の受託に繋がることが予想されます。
また、段階的に業務を受託することでアサインするリソースも無理なく供給することができます。
この考え方を具現化することで、トータルマルチベンダーサービスが現実のものになると考えています。
しかしながら、一朝一夕にはいきませんので、永続のテーマ、ビジョンとして、世の中で最初のトータルマルチベンダーサービスカンパニーを目指しています。
臼井社長:
長期経営構想で令和6年度に従業員500人体制、年商100億円の目標を掲げていましたが、コロナ禍の令和2年度に前倒しで達成できました。
しかしながら、利益率は目標の10%に届かなかったため、今後の方針としては「量より質」を追求します。
先ずは、新たに策定した長期経営構想の戦略を具現化し、令和12年度には30億円規模のビジネスユニットを5事業、グループ売上高150億円、利益率12%を達成できるよう尽力します。
そのためには、インフラの整備やマネジメント体制の強化、個々の技術力の向上を図ります。